なかめのてっぺん本店 店長 江原 瑠依

20代、入社4年目で店長に昇格!
グループ創業店舗の3代目女性リーダーへ

なかめのてっぺん本店 店長

江原 瑠依

1998年、埼玉県生まれ。高校卒業後、大手ホテルチェーンに正社員として入社し、レストランスタッフとして勤務。
2019年にMUGENに入社後、「なかめのてっぺん本店」の中核メンバーとして活躍する。
2022年2月、「なかめのてっぺん本店」の副店長、同年10月に店長へ昇格。
モットーは「プラス思考 日本一」

キャリアインタビュー

前職は、ホテルのレストランスタッフとして働いていた。

生まれは埼玉県岩槻区、4人兄弟の末っ子として生まれました(兄が1人、姉が2人います)。
高校卒業後、大手ホテルチェーンに正社員として入社し、都内にあるホテルのレストランスタッフとして働いていました。幸運にも、人間関係には恵まれた職場だったので、今でも当時の上司や同僚と、変わらぬご縁が続いています。
一方で、労働環境や待遇面については、長く働けるイメージが持ちにくい職場でもありました。実際に同期は続々と辞めてしまい、最後に残った1人が私だったのです。
当時は2日にまたがる勤務が基本で、夜勤時にとれる仮眠も、ほんの2~3時間程度でした。残業時間100時間のハードワークに耐えても、手取りの給料が20万円に満たない月もありました。というのも、高卒社員の私の初任給は、専門卒の社員とは約4万円、大卒の社員とは約8万円も差があったのです。
自分に学がないことは、最初から自覚していました。とはいえ、業務内容はまったく同じなのです。学歴の有無だけで、入社後の努力では埋められないほど待遇に差があることは、なかなか納得し難いものでした。社会は高卒者を認めてくれない…私が社会人になって、改めて実感したことでした。そのような環境で働き続けることが次第に嫌になってしまった私は、会社を辞めることにしました。
一方で、当時の部長には大変お世話になったので、自分の後任を育ててから辞めることを約束していました。結果的に3年弱の期間を要しましたが、後輩が私と同じポジションに昇格するのを機に退職しました。

なるべく早く結婚して、仕事を辞めたいと思っていた。

MUGENとのご縁は、友人の紹介から始まりました。私が転職の相談を持ちかけた際に、「瑠依ちゃんに合いそうな会社があるよ!」と、その場で社長の内山さんに連絡してくれたのです。後日に中目黒の事務所で、内山さんが面接をしてくださいました。
実のところ、私は面接に臨む前から、もしも雇っていただけるならMUGENで働こうと思っていました。とにかく前職を辞めたかったし、すぐに働ける先を見つける必要があったのです。
面接で何より驚いたのは、私がホテルのレストラン経験者ということで、前職よりも10万円も高い基本給を、内山さんが提示してくださったことでした。それまで高卒の自分は、社会から駒にされているような感覚があったので、自分の経歴を認めてくれる場所があったことに、新鮮な驚きを覚えました。
とはいえ、前職で働き詰めの日々を過ごしてきた私には、たいした労働意欲はありませんでした。「できれば早く結婚したいと思っています。結婚したら仕事を辞めるかもしれません」…初対面から本心を打ち明けた私に、内山さんは特に驚いた様子もなく、「そういう人生もあると思うよ。結婚するまで楽しく働いてくれたらいいし、その後も続けたいと思えば、軽めに働くという選択肢もありだよ!」…と、意外な回答をくださったのです。
面接時に観た会社紹介映像からは、社員旅行やBBQ、社内表彰のシーンなど、いかにも温かい雰囲気が伝わってきて、素敵なご縁を繋いでくれた友人に感謝しました。

初めての居酒屋で、慣れない接客に悩んだ。

入社後に直面した最初の壁は、「居酒屋」という空間で求められる接客とは何かを理解し、実践することでした。
私が前職で経験してきたホテルのレストランと、町場の居酒屋である「なかめのてっぺん本店」では、店内の雰囲気や客層をはじめ、すべてが異なっていました。それなのに、私の所作や言葉遣いには、相変わらずのホテルライクな堅苦しさが残っていたのです。そのような私の接客は、本店のお客様が望んでいるサービスではありませんでした。
「瑠依ちゃん、ここはホテルじゃないんだよ?ちゃんと居酒屋の仕事をしてよ!」…常連のお客様からご指摘をいただいても、当時の私は正解がわからずに混乱していました。居酒屋に相応しい接客って何だろう…?そう自問しながら、自信が持てないせいで余計にぎこちない接客を繰り返していたのです。
ちょうどその頃、私にとって初となる本店の周年祭の季節が到来しました。3日間を通じて、常連様やパートナー企業の方々が一気に来店される毎年恒例の一大イベントです。周年祭の日を迎えるまで、悩んで泣いてばかりいた私ですが、3日間にわたってA卓を1人で任されることになり、涙も忘れるほどに忙殺されていました(笑)そして、怒涛の3日間を終えたとき…ようやく私のなかで吹っ切れたような感覚があったのです。
それまでの私は、接客の「正解」を求めて悩んでいたわけですが、そもそも正しい答えなんて、どこにも存在しなかったのです。それは誰かが教えてくれるものではなく、自分自身で築き上げていくべきものでした。シルバーをセットする手順やワインの注ぎ方など、私が前職で習得してきた接客の知識やマナーは、もちろん価値のあるものです。一方で、本店で求められる接客には、いわゆるルールやマニュアルはありません。どうしたら目の前のお客様が喜んでくださるのか、どのような応対に心地よさを感じていただけるのか…?それらの問いに対するベストな解はシーンによって変わるわけで、お客様の立場になって考えることで、初めて見えてくるものでした。
それまで頭でっかちになっていた私には、単純に目の前のお客様が見えていなかったのです。私らしい接客とは、日々の営業のなかで試行錯誤を重ねながら、磨き続けていくべきもの。それに気づいてからは程よく力が抜け、自然体で接客を楽しめるようになっていきました。かつてご指摘をいただいた常連様にも、無事に成長を認めていただけるようになりました。

コロナ禍に屈しない前向きなカルチャーが、自分を成長させてくれた。

入社してから約半年後のことです。新たな環境にも慣れ、ようやく仕事が楽しくなってきたところへ、まさかのコロナ禍が始まりました。
当初はすぐに収束するものと思っていましたが、第1回目の緊急事態宣言の発出を機に、飲食店への休業要請、酒類提供の禁止、時短要請などなど、瞬く間に未曽有の事態へと発展していきました。
コロナ禍が続いた数年間、MUGENではさまざまな取り組みがスタートしました。最初に始まったのが、中目黒の「はまぐり屋串左衛門」での店頭販売(魚屋・八百屋)プロジェクトでした。飲食店が軒並み休業していた当時の緊急事態宣言下では、納品先を失った生産者様や業者様が全国に溢れていました。しかも、そのような事業者は政府による協力金の対象外の業種であったため、MUGENのパートナー企業様の多くも、深刻な経営危機に陥っていたのです。飲食店としての営業ができないなら、自分たちに今できることをやろう!お世話になっている取引先から魚や野菜を仕入れ、日中に店頭で販売するというアイデアは、内山さんが発案したものでした。外出自粛が叫ばれるなか、新鮮な魚や野菜が近所で安く手に入れば、近隣住民の方々も喜んでくださるはずです。とにかく元気で声の大きかった私は、店頭販売に向いていると思われたのでしょう。同プロジェクトの責任者の一人として、商品の仕入れから値付け、販売までを専任で担うことになりました。この期間は、連日の早朝勤務に加え、魚や野菜の入った荷物を運んでギックリ腰になるなど、パートナー企業様の日頃の苦労を知るうえで、たいへん貴重な機会になりました。
その他にも、本店で日本酒の蔵元応援イベントを開催したり、居酒屋業態が休業している期間、ホテル勤務の経験を活かして高級業態のヘルプに回ったり…。逆境に屈しない前向きなカルチャーと業態の多様性は、MUGENの大きな強みだと思います。
この数年間、飲食業に携わる多くの人々が、さまざまな理不尽や無力感を味わってきたはずです。私は幸運にもMUGENにいたおかげで、足が止まることはありませんでした。コロナ禍収束後の飛躍に向け、地道に続けてきた取り組みの数々が、むしろ私を大きく成長させてくれました。

お世話になった先輩のために、店長を継ぐ決意をした。

店長になったのは2022年10月、私が入社4年目を迎えた頃でした。
入社前、たいした労働意欲も見せずに面接に臨んだ私に、まさかMUGENの創業店舗の責任者を担う未来が待っていたとは…(笑) 当初の私を知る人(内山さんも含めて)は、まさか私が店長になるなんて、きっと想定していなかったと思います。そのくらい、私は自他共に認める「いかにもすぐ辞めそうな新人」でした。しかし…その数年後、私は自分の意志で本店の店長に立候補したのです。
私の心境に変化をもたらした最大の要因は、入社当初からお世話になった前店長の味松さんの存在でした。彼女はMUGENが2店舗しかない時代からの創業メンバーであり、長らく本店の看板店長として、お客様やスタッフに愛されてきたスーパースターのような存在でした。しかし、そんな彼女にも家庭があり、自身の出産や子育てなど、プライベートの人生を考えるうえで重要な時期にあったのです。そのような状況にあっても、彼女は会社やスタッフの将来を第一に考え、メンバーの育成に力を注いでいました。仕事に関しては厳しい先輩でしたが、プライベートの悩みを聞いてもらったり、飲みに行って一緒に笑い合ったり…。とても優しくて、人間的な魅力のあふれる素敵な先輩なのです。味松さんの後任が育たない限り、彼女が安心してMUGENを卒業することはできない…。そう悟ったとき、私は店長になる決意をしました。
自分が店長を担うことに対して、もちろん恐れはありました。MUGENの看板店舗のトップを担う責任は大きいし、多くの常連様が味松さんのファンであることもよく知っていたからです。それでもお世話になった先輩への恩返しとして、私が店長になろうと思いました。それに、もしも今の自分が手を挙げなかったら、いつか自分が味松さんと同じ立場になったときに、後を継いでくれる後輩は出てこないと思ったのです(笑)後輩たちは、私の「言葉」よりも「行動」を見ていますからね。そこで、まずは副店長を目指す意思を内山さんにお伝えし、シフト作成をはじめとした店舗のマネジメント業務を、徐々に引き継ぐようになりました。

新体制の本店へ。しかし、始まりは苦労の連続だった。

前店長の味松さんからバトンを受け継ぎ、実質的に本店の責任者を担い始めたのは2022年5月のことでした。
味松さんはMUGEN卒業前の最後のミッションとして、「なかめのてっぺん横浜みなとみらい」のチームづくりを任されていました。彼女が横浜店へ異動した直後の本店は、ベテランの村井さんを除いて、社歴や経験の浅いメンバーばかりでした。しかも、つい3月下旬までは「まん延防止(東京都によるコロナ禍の措置)」により飲食店の通常営業ができない状況が続いていたので、いわゆる本店の「本気の営業」に、まったく慣れていないチーム状況だったのです。
長らく本店を率いてきた看板店長が抜け、通常営業を再開させたばかりのタイミング…。そこへ、コロナ前と同様に、多くのお客様が来店されたのです。現場の営業は、もはや大混乱に陥りました。メンバーの経験不足をはじめ、オペレーション上の課題はもちろんありました。しかし、何より苦労したのは、店舗メンバーや常連様に対して、新体制の本店を受け入れてもらうことでした。「みっちゃん(前店長)のときは違ったのに」…当時はさまざまな場面で、新体制への不満の声が聞こえてきました。きっと味松さんも、前店長から本店を引き継いだ際に、私と同じ経験をしているはずです。
しかし、彼女は既に本店のリーダーではなく、横浜店のチームづくりを任されている立場であり、むやみに相談するわけにはいきません。もはや覚悟を決めるしかありませんでした。新店長になる自分が、仲間と共に新しい本店を創るんだ…!「味松さん(前店長)を捨てる!」…自分のマインドが変わったことで、ようやく気持ちがラクになりました。たとえ前店長と比較されても、別に気にする必要はありません。常連様やスタッフのなかには、未だに前店長だけでなく、初代店長(裕美さん)のファンもいるのです。それは過去の本店を支えてきた大事な歴史であり、今後はそれを自分が築いていくのだ…。そう素直に思えたとき、私は前を向けるようになりました。

店長として、最も大切にしていること。

自分自身が苦しまないこと…私は店長になってから、この一点を強く意識してきました。これは決して「頑張らない」とか「ゆるくていい」とか、そんな意味ではありません。仕事に対するスタンスとして、もちろん「真剣」には取り組むけれど、「深刻」にはならない…という表現が近いかもしれません。なぜなら、私のもとには店長や料理長を目指すメンバーがたくさんいて、彼らは店長である私の仕事やスタンスを、常に見ているはずだからです。みんなには、ぜひとも立派なリーダーに成長してほしいと思っていますし、リーダーを目指す新たな仲間が、もっと現場から増えてほしいと願っています。だからこそ、店長の私が苦しむ姿を見せることは、その目的に対してプラスにならないと思うのです。
もちろん店長の立場になれば、業務の負担や責任が増えるのは当然のことです。私も店長になった途端に、毎月のリーダー会議に出席したり、社長との直接のやりとりが始まったり、それまで経験したことのない仕事が一気に増えました。
当初はもう、何をするにも戸惑いの連続!そもそも会議の議題にはついていけないし、内山さんからの指示や指導の意味を瞬時に理解できなかったのです。「瑠依はもっと脳ミソをつけろ!」…と、よく怒られていました(笑)こんな私だからこそ、自分を過信するのは危険だと解っていたのかもしれません。一人ですべてを抱え込むのは辞めて、仲間を信じて頼ろうと思いました。たとえば、重めのタスクを抱えているときは、予めメンバーに伝えることで、集中タイムを確保させてもらったり、店舗が忙しい状況でも、私は残らず時間通りに上がらせてもらったり…。信頼して任せるからこそ、一人ひとりが自分の仕事に責任を持つようになります。何より私が犠牲的に何でも背負い過ぎてしまっていたら、これから店長になりたいと思う人は出てこないと思うのです。みんなには、ぜひとも次代のリーダーに立候補してほしいと思います。
リーダーを担うからこそ経験できることや、見える世界は確実にあるのです。MUGENで店長や料理長に立候補するうえで、社歴や経験の有無、年齢などは関係ありません。もちろん、「誰かがやってくれるだろう」…なんて心のどこかに甘えがあったり、自分の力に過信があったりする人には、仲間はついてきてくれないでしょう。リーダーになるには、やはり責任感は重要です。でも、こんな私が店長になれたのだから、どんな人にもチャンスは開かれていますよ。

MUGENに入社して、豊かな繋がりを感じられる毎日になった。

MUGENに入社してから4年弱の間に、私の世界は大きく広がりました。かつて経験したことのないスピードで人との繋がりが生まれ、濃密な時間を過ごしてきたという実感があります。
ホテル時代の私には、上司や同僚との良縁には恵まれた一方で、それ以上の世界の広がりはありませんでした。基本的に来店されるのはホテルのお客様であり、彼らにとって私の存在は、レストランスタッフの一員でしかありませんでした。しかし、本店で働くようになった今では、「江原瑠依」という人間に逢うために、わざわざ足を運んでくださるお客様がいるのです。また、以前はレストランで取扱う食材や商品に対して、人との繋がりを感じることはありませんでした。
MUGENに入社後は、豊洲の鮮魚・青果市場の方々と日常的に顔を合わせたり、蔵元や酒販店の方々から、作り手の想いやストーリーを伺ったり…。店舗で食材や商品に触れるたびに、それに関わる方々の顔が浮かび、愛着や感謝を覚えるようになったことも、私にとっての大きな変化でした。尊敬できる先輩、共に働く仲間、お客様、近隣店舗の店長との繋がり…。さまざまなご縁に支えられて今の私があることに、心から感謝しています。

入社5年目を迎えた今、考えていること。

いずれは私にも、MUGENを卒業する日が来ると思っています。とはいえ、現時点で具体的な期限やビジョンがあるわけではありません。できれば結婚や出産、子育ては経験したいと思っていますが、それがいつになるのかはわかりません。基本的に未来のことは、いま考えてもわからないものだと思って生きています。こんなタイプの人間なので、たとえば「会社の成長のために何をすべきか」…など、あまりに大きく長期的な課題を問われると、途端に頭を抱えてしまいます
。一方で、もっと個人的で身近なことなら、自分なりに決めていることがあります。それは、前店長が私にしてくださったように、本店を任せられる次代の店長候補を育てたうえで卒業するということ。私が教わってきた大切なことは、後輩たちにしっかりと受け継いでいくつもりです。
MUGENは私に成長の機会や温かいご縁をくれた会社なので、必ず恩返しをして卒業できるよう、自分に与えられた責任をしっかり全うしてきたいと思っています!

※MUGENでは、社長は肩書きではなく名前で呼ばれています。

なかめのてっぺん 本店

住所 〒153-0051
東京都目黒区上目黒3-9-5
プラージュメグロ1F
電話番号 03-5724-4439
営業時間 18:00~翌5:00
(L.O.4:00、ドリンクL.O.4:30)
定休日 不定休
座席数 55席
HP なかめのてっぺん 本店

キャリアインタビュー一覧へ