天婦羅みやしろ 雑賀 順也

ミシュラン1つ星店の連続受賞を支えてきた期待の若手!
MUGENで学んだ、好きを仕事にしていくために重要なこと。

天婦羅みやしろ

雑賀 順也

1997年、和歌山県生まれ。高校卒業後、地元の飲食店に就職し、約3年間勤務する。
2019年、MUGENへの入社と同時に上京。「天婦羅みやしろ」に配属となり、ミシュラン1つ星の連続獲得に貢献してきた。
「努力家」「仕事を覚えるのが早い」と、店主・宮代からの評価も高く、期待の若手として活躍中。

キャリアインタビュー

料理の道に進んだのは、子ども時代の原体験にあった。

生まれは和歌山県和歌山市です。両親と兄、僕の4人家族で育ちました。現在、父は地元で和食の料理人をしており、兄は看護師として働いています。
僕は高校卒業後、父の紹介で地元の飲食店に就職しました。そのお店は、MUGENの「鮨おにかい」よりも、ちょっと手頃な価格帯の鮨屋といったイメージでしょうか。振り返ると、僕が料理の道に進んだ理由は、子ども時代の原体験にあったと思います。かつて父が地元で飲食店を営んでいた頃、母もお店を手伝っていました。母は日中の仕事を終えると店に入り、兄も家を空けていたので、僕は一人で過ごす時間が多かったのです。
その頃から、日常的に自炊をしていました。冷蔵庫を開けて、今日の献立を考える日々…。子どもが作る料理なので、たとえば炒め物やカレーなど、簡単なものばかりです。別にレシピを見るわけでもなく、なんとなくの感覚で作っていたので、想像とは異なる仕上がりになることも多々ありました(笑)それも含めて、料理のプロセス自体が楽しかったのです。
ちなみに父が料理人として働く姿は見たことがないし、お店を手伝った経験もありません。父のお店に家族で食事に出かけたのも数回程度なので、特に父から影響を受けたわけではないと思います。
そんな僕が地元の飲食店を辞めて上京したのは、自分がまだ経験したことのないジャンルの料理に挑戦してみたいと思ったからです。僕がいたのは地方の鮨屋でしたし、東京に行けばもっと新しい経験に出逢えて、自分の料理の幅を拡げられると思っていました。

もっと料理を極めたい…!MUGENへの入社を機に初めて上京する

MUGENには、最初の就職先を紹介してくれた方を通じて出逢うことができました。鮨や天婦羅、和食など、東京ならではの専門店を複数展開している飲食企業で、いずれも人気店だと聞いたとき、僕の心は強く惹かれました。
さっそく父と一緒に面接に行くと、内山さんとかいせい物産(MUGENのパートナー企業様)の宮崎社長が迎えてくださいました。場所は中目黒にある「吉次蟹蔵」で、そこはMUGENが運営している和食業態の一つでした。面接では緊張していたせいか、話した内容をあまり覚えていません。僕が将来どうしていきたいのかを、内山さんが聞いてくださったのだと思います。
一方で、僕はMUGENに入社することに、まったく迷いはありませんでした。それまで僕が東京に来たのは、学生時代の修学旅行のときくらいでした。しかも、行き先はディズニーランドだったので、正確に言うと東京ではありません(笑)上京することへの不安よりも、新たな環境で料理の知識や経験が得られることへの期待感のほうが、僕にとってはずっと大きかったのです。これから自分は東京で料理を極めていくんだ…!23歳を迎える頃、新天地への期待に胸をはずませながら、僕は故郷を後にしました。

居酒屋業態での研修期間を経て、「天婦羅みやしろ」に配属となる。

入社後3ヵ月間の研修期間は、グループ内の居酒屋業態の現場に入りました。僕にとって居酒屋で働くのは初めての経験。それも、最初の2ヵ月間は、丸の内や名古屋にある、駅直結の商業施設内の店舗でした。さすがは大都会!次から次へとお客様が来店されることに、最初は思わず圧倒されました。目がまわるほどの忙しい日々でしたが、現場の先輩社員やキャストのメンバーが温かく迎えてくれたおかげで、楽しい研修期間を過ごすことができました。

2019年7月、僕は「天婦羅みやしろ」に本配属となりました。数ある店舗のなかで「みやしろ」に配属いただいたことは、僕にとって嬉しい出来事でした。「天婦羅を学びたい」と明確に思っていたわけではありませんが、僕にとっては未経験の領域であり、新たな知識やスキルを習得するチャンスだと感じたのです。自分の希望店舗を伝えていたわけではなかったので、僕が上京した理由や性格を考えて、内山さんが任命してくださったのだと思います。
当時の「天婦羅みやしろ」のメンバーは、店主の宮代さん、料理人の岡野さん、女将の飯島さんの3人でした。宮代さんと岡野さんは、いずれも料理人として超腕前の大先輩です。上京したばかりの若造の自分が、彼らの仕事から直に学べる機会が得られるなんて、本当に有難いことでした。
僕のMUGENでのキャリアは、このような幸運な環境のもとでスタートしました。

東京の高級業態で初めて経験した数々のこと。

中目黒にある「天婦羅みやしろ」は、トタン囲いの長屋(築100年!)の外観をそのままに、内装だけをリニューアルした特別な店構えになっています。看板もなければ、およそ飲食店には見えないような建物なので、初めてお越しになる方は気づかずに通り過ぎてしまうことも多々あります(笑)しかし店内に入ると、そこはまるで別世界…。その遊び心あふれる演出には、初めてご来店されるお客様を驚かせ、大いに喜ばせる力があると感じています。
「天婦羅みやしろ」に来店されるお客様は、料理の味や美しさはもちろん、このような演出を含めた感動(=付加価値)を求めてお越しになる方ばかりです。自分の何気ない言葉遣いや振る舞いがお客様の満足度を下げ、お店の価値を損ねてしまうかもしれない…。その緊張感は、僕がかつて経験したことのない種類のものでした。

「天婦羅みやしろ」で提供している料理は、天婦羅を中心とした和のコース仕立てになっています。基本的に魚だけを仕込んでおけばよかった前職の鮨屋とは、仕込みの量も手間のかかり方も、まったく異なるものでした。限られた時間のなかで、やるべきことが圧倒的に多いのです。僕が入りたての頃に最も驚いたのは、店舗内に仕込みのスペースがまったくないことでした(笑)ハモなんて、いったいどこで下ろすのだろう…という感じなのです。
現在、2階は「鮨おにかい」に変わっていますが、当時は割烹業態だったので、1階と2階の仕込みを1つのキッチンで押し合いへし合いやっていました。ビルが密集している東京では、僕の田舎と比べて一軒一軒が狭いんだなぁ…。それが、都会で働き始めて最初に感じたカルチャーショックでした(笑)

「天婦羅みやしろ」が、初のミシュラン一つ星を獲得する。

僕が配属となったその年の冬に、「天婦羅みやしろ」は初めてミシュラン一つ星を受賞しました。ミシュランを目指す過程では、店舗内に先輩方のただならぬ緊張感が漂っていました。一方の僕はまだ、受賞に貢献する立場ではなく、まずは目の前の仕事を覚えることに必死でした。魚の水洗いから始めて、徐々に下ろさせてもらったり、味噌汁のあたり付けをさせてもらったり…。自分の出来ることを増やすには、やってみるしか方法はありません。慣れない魚を下ろす際には、多くの失敗も経験しました。たとえば、念願のハモに挑戦させてもらったときのこと。さばく際に腹骨を取るのが甘かったせいで、背びれを抜いたら穴だらけ…。これにはさすがの岡野さんにも叱られました。それでも自ら申し出れば、先輩方は何度でもチャレンジさせてくれました。
和食の世界では、新人は何年も魚を触らせてもらえない…なんてこともあると聞きます。一方の僕は、「天婦羅みやしろ」へ来てから1年もしないうちに、ハモの下処理をマスターしていました。自分に出来ることが増えていくのは、本当に楽しいものです。これも、僕のような経験の浅い若手に対して、やる気さえあれば場数を踏む機会を与えてくれる文化が、社内に浸透しているおかげだと思います。もしもMUGENに入社しなければ、上京した僕は今頃、これほどの成長を実感できていなかったでしょう。忙しいなかで丁寧に仕事を教えてくださった先輩方には、本当に感謝しています。そして「天婦羅みやしろ」は、本当にミシュラン1つ星を獲ってしまいました。
当時の僕には自分が受賞に関わった感覚がなかったので、まるで部外者のような心境で、受賞の知らせに感動していました。しかし、後日に先輩方が僕に包丁と食事をプレゼントしてくださったのです。「天婦羅みやしろ」を支える仲間の一人として、自分は迎えてもらっているんだ…。先輩方の想いに触れて、もっとお店に貢献できる自分になろうと誓いました。

月に一度、「天婦羅みやしろ」のカウンターに立つ機会を得る。

入社してから2年も経たないうちに、僕は「天婦羅みやしろ」のカウンターに立つ機会をいただくことになりました。店主の宮代さんではなく、僕が揚げた天婦羅をお客様に召し上がっていただくのです…!最初は平日ランチの天婦羅定食に始まり、徐々に宮代さんと同じコースを手がける機会を、月に1度のペースで設けていただくことになりました。
このように、近い将来デビューを目指す僕らが、実際のお客様を前にカウンターに立つ「若手育成デー」の取り組みは、グループ内の「鮨つきうだ」から始まったものでした。その日は宮代さんが手がける料理とまったく同じ天婦羅コースを、修業中の僕が揚げる代わりに、お客様には原価で提供するのです。当日に向けて、SNSの発信や集客も自分で担います。通常営業をすればその日の売上になるところを、わざわざ僕の育成のために使っていただくということ、「天婦羅みやしろ」の看板を背負ってカウンターに立つということ、お客様に自分が揚げた天婦羅を召し上がっていただくということ…。どれをとっても決して当たり前ではないチャンスをいただいた以上、必ず成功させなければならないと思いました。
しかし、いざ始まってみて最も苦労したのは集客でした。月にたった1度とはいえ、毎月8席を満席にするのがいかに大変なことか…。ミシュラン1つ星を獲得している「天婦羅みやしろ」には、国内外から多くのお客様が足を運んでくださいます。それがどれだけ有難いことなのかを、若手育成デーを通じて改めて実感しました。お客様がいなければ、僕がどれだけ天婦羅の腕を磨いたところで、それを披露する機会がないのです。売上がなければ、豊洲へ行っても仕入れができません。練習しようにも、魚がなければ成り立たないのです。僕らの存在価値が発揮できるのは、お客様が店舗に足を運んでくださり、日々の売上が立つからこそ。将来的な独立を志す料理人が、技術を磨くこと以上に重要なことを、僕はこの機会に学ぶことができました。
今後は「若手育成デー」の価値を、後輩にしっかりと伝えていく立場になります。なぜこのような取り組みが始まったのか、何のために若手に機会を与えているのか、僕の伝え方次第で、取り組み自体の価値が大きく変わってしまうと思っています。後輩を導くためには、調理技術を丁寧に教えるのと同じように、自分自身が物事の本質を捉え、正しく伝える力を磨いていく必要があること。まだまだ課題ばかりですが、これもMUGENに入社して、僕が学んだ重要なことの一つです。

入社5年目を迎えた今、考えていること。

料理が好き。この世界に入ってから、僕のこの気持ちは変わったことがなく、辞めたいと思ったことは今まで一度もありません。縁あってMUGENに出逢い、「天婦羅みやしろ」に配属となったことで、僕は初めて天婦羅の奥深さを知ることができました。料理にはさまざまな組合せがあり、料理人の腕一つであらゆる表現を生み出すことができます。そして、自分が手がけた料理をお客様に召し上がっていただき、その笑顔を見られた瞬間の喜び…。この快感に勝るものは他にないと思っています。大好きな料理を続けていくために、技術と同じく大切なことを、僕は「若手育成デー」の機会を通じて知ることができました。この学びを糧に、料理人としての技術を高め、思考を深めていきたいと思っています。
近い将来、中目黒にある「吉次蟹像」の個室店舗で、僕の天婦羅コースを提供する機会がいただけるかもしれません。カウンター6席の黄金の間、いかにも大人の隠れ家のような特別な空間です。そこで季節ごとの食材を仕入れ、自分の天婦羅でお客様が楽しんでいるシーンを想像すると、今から楽しみでなりません。扱ってみたい食材や、やってみたい料理がたくさんあるのです。
これまでも、僕は会社から数々の成長の機会をいただいてきました。MUGENにいるからこその恵まれた環境に感謝を忘れず、いざチャンスが来たときに確実に勝ち取れるような自分でありたい。そのためにも、日々の研鑽を重ねていきたいと思っています。

※MUGENでは、社長は肩書きではなく名前で呼ばれています。

天婦羅 みやしろ

住所 〒153-0051
東京都 目黒区 上目黒 2-18-11
電話番号 03-6452-2808
営業時間 ランチ:11:30 - 14:00
ディナー:17:30 - 23:00
定休日 月曜日
座席数 カウンター 8席
HP 天婦羅 みやしろ

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