株式会社MUGEN 会社概要・沿革

MUGEN

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Company Overview―会社概要―

社名 株式会社 MUGEN(MUGEN, Inc.)

[由来]
企業理念『すべての人の「幸せの力」に!!』を実現するために、自分たちの”無限の可能性”を信じて、全てのことに挑戦したいという思いを込めてMUGENと名付けました。

本社 〒153-0051 東京都目黒区上目黒3-9-5 プラ―ジュメグロ101 [GoogleMAP

[立地]
東急東横線・地下鉄日比谷線 中目黒駅 徒歩1分とアクセスに優れています。中目黒はセンスの良いお店がたくさんあり、有名人に出会うことも多い街です。

創業 2006年4月9日

[出来事]
マリナーズのイチロー選手がシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新。アテネオリンピックで活躍した北島康介選手の「チョー気持ちいい!!」という言葉が流行語大賞に選ばれた年に創業しました。

代表者 代表取締役 内山 正宏

[想い]
代表になって早10年目経ちましたが、これからも日々学び、成長し続けることで、日本からもったいないをなくす、”もったいないプロジェクト”を発展させるとともに、最高の仲間と一緒に、かかわるすべての人の幸せのためにまい進してまいります。

事業内容 ・日本からもったないをなくす
・明日への活力を生み出す
従業員 100名(社員40名、キャスト60名)

[増加数]
ここ数年は毎年20%ずつ増え続けています。人と組織の成長を見ながら、身の丈にあった範囲内で店舗を増やしていく予定です。今後、社員数が増え、数百人の規模の会社になっても、ファミリーのようなアットホームな雰囲気を大切にしていきたいと思います。

グループ会社 株式会社BRIDGE

History―沿革―

2006年 なかめのてっぺん本店Open

[出店エピソード]
前職(てっぺん)の独立社員一号として、「てっぺん」の想いを受け継ぐため、屋号を「なかめのてっぺん」と名付ける。内山の料理人としてのこだわりと商売センスから、当時では珍しい炉端業態を立ち上げた。
Open後、即繁盛店となり、現在は有名人も多数通うお店となっている。料理やサービスだけでなく、隠れ家的な雰囲気も人気を博す理由の1つだと言われている。なかめのてっぺんの成功をきっかけに居酒屋業界に炉端業態が広がった。

2008年 ふたつめOpen

[出店エピソード]
なかめのてっぺん本店の隣にお店を出すことになる。隣の店舗が繁盛している場合は、通常は増築するが、なかめのてっぺんの隠れ家的な良さを消してしまうため、全く違う業態を立ち上げることになる。なかめのてっぺんと差別化し、若い人を対象にした串揚げを中心にした客単価2500円のお店にする。中目黒の地元の方に使っていただけるお店として、夜遅くまで賑わうお店となった。当時、串揚げのお店が少なかったため、珍しさもあり、オープン初月から売上500万円を超えた。

2010年 なかめのてっぺん渋谷店Open

[出店エピソード]
渋谷駅から徒歩15分と徒歩で行くには遠い場所にお店を出す。NHKの入っているビルと近く、当初はNHKで勤務する方々を対象にお店を出したが、思うように客数が増えずに、集客に苦しむ。地道に近隣の店舗やオフィスにあいさつ回りをしたり、積極的に近隣の店舗に食事に行くなどして、周りの店舗の協力を仰ぎながら、お客様を少しずつ増やすこことができた。MUGENの他店と比べて、集客に頼れない分、紹介したくなるお店にすべく、今まで以上に料理やサービスに力を入れた。

2012年 なかめのてっぺん丸の内店Open

[出店エピソード]
代表内山が尊敬する経営者であるHUGE新川社長が、新丸ビルにRIGOLETTOを出店。その影響を受け、内山も丸ノ内への出店に憧れる。その後、30社のプレゼンを勝ち抜き、丸ビルへの出店が決まりかけたが、どんでん返しにあう。その後、紆余曲折の末、丸ノ内に出店することが決まる。オープンに向けて、1か月前からリーダークラスの人材を投入し準備をする我々の横目に、たった2週間で開店に持ち込むチェーン店を目の当たりにし、圧倒的な生産性の違いに驚く。しかし、現在ではなかめのてっぺんが飲食街の店舗の中で一番の売上を誇っている。

2013年 なかめのてっぺん横浜店Open

[出店エピソード]
丸の内店の出店でお世話になった方の紹介で、横浜のみなとみらいへの出店の話が持ち上がる。当時、横浜港は開港20周年を迎えるが、集客は年々減少していた。三菱地所としては、重要文化財であるドックヤードガーデンを守り続けていくためにも一定の集客力を確保できるお店をテナントとして迎え入れる必要があった。その中の最重要テナントとして、MUGENにお声がけいただく。オープン後から、他の店舗の2倍と圧倒的な売上げを誇り、三菱地所の中で確固たる評価を確立するに至った。

2014年 ふたつめをリニューアルし、はまぐりや串座衛門Open

[出店エピソード]
毎月500万円以上だった売上が500万円を頻繁に割り込むようになり、やがては400万円を切ることも出てきた。テコ入れが必要だと考えていた際、内山は三重県桑名のはまぐり屋を見学する。見学後の会食中にはまぐりの味に惚れたこともあり「俺、このはまぐりでお店やりますよ!」と約束をしてしまう。東京に帰り、冷静に考えると「はまぐり専門店」は他にはなく、尖ってはいるが、お客様にとって日常的に使うお店になることは難しいと思い、串揚げを残しつつ、こだわった焼きはまぐりを全面に押し出した新しい業態をオープン。以前のように月間売上高500万円を取り戻し、好調をキープしている。

なかめのてっぺん品川店Open

[出店エピソード]
品川駅の港南口は一流企業が入るオフィスビルが立ち並び、オフィス人口は多い。また、新たなオフィスビルが建設されたり、品川と田町の間にできる新駅やリニアモーターカーの駅ができるなど、今後の発展が見込める街である。しかし、飲食店はチェーン店が多く、かつキャッチが多いことから、ビジネスマンのニーズに合ったお店が少ないと睨んでいた。そこで、本物を追求したお店をやることで、なかめのてっぺんが品川の街の資産になるべく取り組むことを決意する。MUGENの他の店舗に比べると小規模だが、その分顧客との距離は近く、お客様の反応を間近に見ることができ、やりがいを感じる環境である。

築地もったいないプロジェクト魚治Open

[出店エピソード]
これまで居酒屋業界の流行は、【内装が良いお店→接客が良いお店→食材の素材が良いお店】と移り変わってきた。そして今、素材だけの勝負ではなく、調理技術が問われる時代になっているが、この環境は内山が料理人出身であることが、MUGENが他社に対する優位性につながっている。その調理技術を活かし、手をかければ生まれ変わる食材を見つけた。それがもったいない食材だった。素材のままの出すのではなく、ひと手間かけて、価値を加えることで、お客様に喜んでいただくことができる。魚治はスタート以来、日によっては予約の電話が鳴りやまず、嬉しい悲鳴をあげる程、順調なスタートを切ることができた。この成功は、MUGENの新しいビジョンに向けてスタートする大きなきっかけとなった。

代表取締役 内山正宏の経歴書

内山正宏 MUGEN代表取締役、かいせい物産取締役
学歴・職歴
1974年

福井県敦賀市生まれ

1979年(6歳)

愛知県豊田市朝日小学校入学
活発で行動力のある子供だった。正月になると一人で親戚の家を行き、「お年玉を集金しに来ました!」とお年玉を集めに回っていた。

1986年(13歳)

川崎市立柿生中学校に入学
親戚が軟式テニスをやっていたことがきっかけで、軟式テニス部に入部。部活動に没頭した。

1989年(16歳)

神奈川県立生田東高校入学
中学校時代に好きだった子を追いかけて、同じ学校の同じ部活動(軟式テニス部)に入った。軟式テニスでは川崎市で優勝し、神奈川県でも上位に入るなど活躍。しかし、3年生になり、部活動を卒業すると、目標を見失ってしまい、受験勉強に身が入らず、友人たちと遊ぶ日々を過ごす。

1992年(19歳)

東京調理師専門学校入学
進路を選択する際、勉強があまり好きではなかったため、手に職をつけるために専門学校に行くか、テニスで大学に行くかどうかで迷った。最終的には、両親に連れて行ってもらったお店の料理屋でアルバイトをした経験から、そのお店の大将の姿に憧れて、料理人になる道を選ぶ。その大将からは、「専門学校ではなく、うちのお店に来い!」と声をかけられたが、「正直なところ遊びたい気持ちもあり、専門学校を選んでしまったのかもしれない」と内山は振り返っている。

1994年(21歳)

横浜ロイヤルパークホテル入社
料理人の道を選んだ時、「大将のように人の魅力で仕事ができるようになりたい」と思っていた。それを知っていた専門学校の就職課の先生からは、街場のレストランを勧められたが、教育が厳しいということがネックで応募をやめた。結局、飲食の仕事の中では休みも収入も多いという理由でホテルに応募した。専門学校での成績はあまり良くなかったが、人前で話すことが得意だったこともあり、面接に合格。入社後、仕事にどっぷりと浸かっていく中で、もっと技術を学びたいと思うようになり、ホテルではなく、街場のレストランや割烹料理屋への転職を考えるようになる。

1996年(23歳)

柳橋亀清楼入社
亀清楼からロイヤルパークホテルに転職した先輩の圧倒的な技術に憧れを抱き、料亭への転職を考えていたところ、その先輩が亀清楼に戻るということで、先輩と一緒に亀清楼に入社。入社後、ホテルの中ではレベルが高いと思っていた自分の技術は、亀清楼ではまったく通用せず、あまりのレベルの違いにショックを受ける。この時、「専門学校ではなく、うちのお店に来い!」と声をかけてくれた大将の言葉の意味が初めて理解できた。内山は「もし息子が料理の道に進むと言い出したら、最も技術を磨ける厳しい職人の世界を勧める」と言っている。

2001年(28歳)

大嶋啓介さんとの出会い
のちに一緒にてっぺんを立ち上げることになる大嶋啓介さんと出会う。「日本一の居酒屋を作る!」と宣言する大嶋さんと意気投合し、将来一緒にお店をやることを約束する。

銀座独楽入社
大嶋さんと立ち上げる居酒屋を成功させるために、洋食も勉強しておきたいと考えていたところ、銀座独楽の求人が目に入り、即応募。入社することになる。

2002年(29歳)

AKASAKA NINJA入社
有名料理本にランキング1位で掲載されることを本気で目指すお店に入社。有名店で修行を積んだ有望な若手料理人が集まっている環境で、切磋琢磨する。鈴木社長(当時)が、業界でも有名店長だった大嶋さんが掲載されている雑誌を見ていた時、内山は「将来この人と独立する約束をしている」と伝えた。すると、鈴木社長は「彼に会いたい」と言い出したため、セッティングした。大嶋さんは「居酒屋から日本を変える!」と書いた企画書を持参し、鈴木社長に将来像を熱く語った。はじめは「内山はうちで立派に育てる」と言っていた鈴木社長も、最終的に涙を流しながら「君に内山を任せる」と言ってくれたことは内山にとって、一生忘れられない思い出となっている。

2003年(30歳)

てっぺん創業
居酒屋から日本を変えるために大嶋さんとてっぺんを創業。居酒屋の神様と呼ばれる宇野さんのお店(楽、しるべい)のようなお店をやりたいと考えていたところ、楽を独立した方がやっていた自由が丘のお店の居抜き物件を見つけ、契約。2004年1月のオープンに向けて準備をスタートする。

2004年(31歳)

てっぺん自由が丘店オープン
「日本一の居酒屋をやります!」と宣言し、オープンした自由が丘店だったが、お客様に満足してもらうことができずに、模索する日々を過ごす。いろいろと考えた結果、挨拶で日本一を目指すことを決める。徹底的に取り組むことで、「てっぺんの朝礼」が全国的に有名になる。

2006年(33歳)

てっぺんからの独立を決意
てっぺんの創業以降、自由が丘店、渋谷店、桑名店と3店舗を立上げ、順調に店舗を拡大していた。内山自身、てっぺんを独立するつもりはなかったが、大嶋さんから「てっぺんは独立する人を生み出す会社にする!」との提案を受け、合意する。それを踏まえて、てっぺんのナンバー2である自分が独立第一号にならなければという思いで、独立することを決意。てっぺんからは絶対に人を引き抜かないと決めていたため、てっぺんを退職したメンバーや過去に一緒に仕事をしたことがあるメンバーに声をかけて、仲間を集めた。むげん烏丸店のオープン準備をしながら、なかめのてっぺん本店の準備も並行して進めた。

むげん烏丸店オープン支援
京都の機械工具の商社のカモガワが、飲食事業を立ち上げることになり、支援の依頼を受ける。当初は側面支援の予定だったが、先方の責任者が退職したため、内山が責任者として全面的に取り組むことになる。この時に出会った三上社長は内山が師と仰ぐ人物の一人である。

個人事業主として、なかめのてっぺん本店オープン
当時のてっぺんは、若者に人気のある元気で活力がみなぎるお店として、素晴らしいと感じていたが、内山はてっぺんとは客層や方向性の少し違うお店を作りたいと考えた。「大人が喜ぶお店」「スタッフが40歳、50歳になっても仕事ができるお店」という思いでなかめのてっぺん本店を立ち上げた。オープン時は開店祝いの花が90鉢も届き、置き場がなくなるほどだった。

2007年(33歳)

MUGEN設立 京都への転居を決意
なかめのてっぺん本店とカモガワが経営する京都の2店舗(烏丸店・寺町店)を合わせて、MUGENを創業。なかめのてっぺん本店を立ち上げて半年しか経っていなかったが、京都の2店舗を立て直すために、京都に転居。京都で最も繁盛しているお店に頭を下げて、仕入をイチから教えてもらい、食材の質を高めることから着手。その後、4年間京都で暮らした。

2008年(35歳)

ふたつめオープン(現在のはまぐりや串座衛門)
なかめのてっぺんの入っているビルのオーナーから、「同じビルの1階のテナントに空きが出たので、そこでお店をやってみないか?」と勧められたことがきっかけで、ふたつめをオープンする。中目黒から徒歩1分の路面店は飲食店に大人気の立地だが、オーナーの好意により、入らせていただく。過去、オーナーには内山の結婚式にも参加いただくなど、長年に渡り、応援していただいている。

2010年(37歳)

なかめのてっぺん渋谷店オープン
渋谷にてっぺん男道場と女道場の2店舗が同じ通りに面している。その通りは渋谷の中では人通りが少なく、寂しい雰囲気だった。そこで、てっぺんの2店舗の目と鼻の先に、MUGENのお店を出し、3店舗が協力して、たくさんの人を集めて、賑やかな通りにすることで、「てっぺんストリート」と呼ばれるようにしようというビジョンを掲げた。お世話になった恩返しは繁盛店を作り、「共に勝つ」というてっぺんの精神を体現することだった。

2012年(39歳)

なかめのてっぺん丸の内店オープン
丸の内には日本各地の一流企業の本社が集まっている。そんな丸の内の企業戦士がホッと一息をつき、明日への活力をチャージする場が居酒屋である。つまり、丸の内の企業戦士を支えるのは俺たちであり、俺たちが丸の内の企業戦士を通じて世界を支えている。そんな気概を持ってお店を運営している。

2013年(40歳)

なかめのてっぺん横浜店オープン
内山が20年前に勤務した、思い入れのあるロイヤルパークホテルと同じビルにオープン。「20年前、ここからスタートしたんだよな・・・」と感慨深さを抱きながら、当時の先輩を訪ねる。すると統括料理長が、入社して2年しかいなかった内山のことを覚えてくれていた。改めて人の縁の深さを感じた。

2014年(41歳)

ふたつめをリニューアルし、はまぐり屋串座衛門をオープン
2013年12月に三重県桑名のはまぐり屋を見学。生産工程にて、様々な工夫を行っており、試食してみると、他のはまぐりとは全然味が違った。見学後、その会社の方との会食を通じて、内山がその方を好きになったこともあり、はまぐりをメインにしたお店を出すことを即決。その後、MUGENの他のお店でもはまぐりを出すことになった。さらに内山は仲の良い飲食企業にも紹介し、他の企業でも提供されている。

なかめのてっぺん品川店オープン
品川は大手チェーン店中心に、客の呼び込みの多い地域。そんな地域で、呼び込みなしで繁盛店を作るというコンセプトで、品川店をオープンした。個人的には、品川駅の港南口はオフィスが多数あり、大きいチャンスがあると感じていたことも出店の理由である。

築地もったいないプロジェクト魚治Open
実は、もったいないプロジェクトを企画したのは内山ではなく、a dot(エードット)というプロモーション会社。この会社の担当者が、築地仲卸の山治の山崎社長から築地にはもったいない魚が年間8000トンあるというを聞き、もったいないプロジェクトの企画をまとめた。a dotの担当者が、その企画を持って山崎社長に相談すると、MUGENを紹介。MUGENでも、もったいない食材を積極的に使おうとする現場での動きがあった。山崎社長、a dot担当者、内山の三社で面談した際、内山は「来た!これこそが自分たちがやりたかったものだ!」と出店することを即決した。